昔から、霊験あらたかとして知られる石穴さまの元には、各地からたくさんの人々が祈願や日頃の感謝を伝えに、参拝されています。
そうした一人一人の真剣な祈りの姿は、今も昔も変わらず続く、私たち日本人の大切な文化です。
昔から、霊験あらたかとして知られる石穴さまの元には、各地からたくさんの人々が祈願や日頃の感謝を伝えに、参拝されています。
そうした一人一人の真剣な祈りの姿は、今も昔も変わらず続く、私たち日本人の大切な文化です。
昭和31年秋、大相撲横綱の千代の山関が、石穴稲荷神社に参詣します。
横綱は足を痛めて九州場所を休場していましたが、怪我の回復と今後の活躍を、石穴さまに祈願しました。
当日、横綱の来訪を聞きつけた人々が石穴に大勢集まり、大祭のような賑わいとなったそうです。
明る年の初場所、横綱は見事に全勝優勝を飾り、「石穴稲荷神社」と染め抜かれた大幟旗を一対、大神さまへの御礼として奉献しました。
時は幕末、尊王攘夷派の公卿五人が、太宰府の地に身を寄せます。その公卿たちの筆頭が、三条実美公です。
太宰府天満宮の延寿王院に滞在していた三条公ですが、ある日大事な太刀を紛失してしまいます。困り果てた三条公とその従者は、石穴稲荷神社を参拝し、所願成就のご祈祷を行います。
すると、たちどころに太刀は現れ、ご神徳のおかげを頂いた三条公は、その御礼として幣帛を奉納し、その後も五卿らとたびたび石穴の地を訪れ、花見などの宴を開いたと伝えられています。
その後、明治維新が起こり新政府が誕生すると、三条公は太政大臣として近代日本の基礎を創り上げられました。三条公は没後、京都御所のすぐ近く梨木神社に祀られ、今も日本の行く末を見守り続けていらっしゃいます。
三条公が供物を入れて、石穴稲荷神社に奉納した唐櫃(からびつ)は、ご神徳を伝える貴重な史料として、現在も大切に保管されています。